人々をつなげ、挑戦する場の「しくみ」クリエイター

by山野莉子 渡邉治香 千葉あかり 三浦玲奈 竹内美咲(高校生編集部)

interview#003 松井健斗さん

大人になるほど挑戦することは難しい

だからこそ高校生のうちにチャレンジしておく。そんな常識を覆すように名古屋を盛り上げようと様々な分野で挑戦を続けている松井健斗さんに取材させて頂きました。

profile

name:松井健斗氏

やっていること・やっていたこと:

株式会社カナメヤ 代表取締役/尾張経済観光向上事業「宗春天空隊」ー徳川宗春 役/どまつりダンスチーム「kagura」所属/大学講師/産官学連携プロジェクト構築/学生団体設立/戦国ミュージカル2021「覇王の道」ー榊原康政 役/一般社団法人選挙割協会ー理事/一般社団法人「名古屋若者評議会」ー初代議長・創設者など

名古屋で一番好きな場所:名古屋城 名古屋テレビ塔(中部電力MIRAI TOWER)

今回は松井さんの「現在」「過去」「未来」について聞かせていただきました!

Chapter 1:松井さんの『今』

Q:株式会社カナメヤとは?

interviewer:みさき

早速ですが、株式会社カナメヤについて、 現在主に取り組んでいることを聞かせてください。

松井さん

 

現在、カナメヤでは、主に2つの「柱」で活動しています。 それは「愛知県名古屋市の産官学連携事業」と「学生による”若者アクション”への活動支援」です。

1つ目の「愛知県名古屋市の産官学連携事業」とは”なんぞや!”って感じだと思うんですけど、 これは「企業×行政(市役所や県庁)×学生」が手を取り合える新たな連携を創出し、 地元地域を盛り上げる架け橋の役目となる事業になります。 現在は20の学生団体、計400近い高校性から大学生が所属している愛知県内で最大規模の学生母体になっています!

2つ目の「学生による“若者アクション”への活動支援」とは、 今の時代に過ごしている学生一人一人へ、何か一歩を踏み出す“きっかけ”を渡し続けています。 コロナで失った学生生活は取り戻すことが出来ません。しかし「卒業」は日々近づいています。 そんな今を生きる学生へ「何かを始めるキッカケ」を渡す活動をしています。 また何かを始めて活動していく中で経験を積み、様々な「成功体験」を渡したいです。 そこで活躍した学生を地元の企業さんへの就職できる仕組みを構築して、 地元をより一層盛り上げられるサービスを広げています。

みさき

なるほど・・・カナメヤさは主に人々との『つながり』を作り出せる場所なんですね! 少し話は変わりますが、4月1日に株式会社を設立されたとありますが、株式会社に変えられた理由やメリットは何でしょうか

松井さん

大きく僕の中で感じているのは主に3つです。 それは「世間からの信頼」「行政プロジェクトへ深く関われる」 そしてなにより「学生を守ることができる」ことです。 今までは「カナメヤ」という、ある種コミュニティーを作っていただけだったんです。 けれど、それだと世間からの信頼が薄く、言ってしまえば「ただの若者の集まり」程度にしか表現できませんでした。 それが「株式会社」になったことで一気に世間からの信頼度が高くなり、 行政や国としての任せてもらえる大きな仕事が増えました。

2つ目の「行政プロジェクトへ深く関われる」と言うのは、僕が一番したいことでもあります。 「株式会社カナメヤ」として、学生活動支援として愛知県や名古屋市の予算をしっかり受け取り、明確な形で学生に還元できるプロジェクトを継続して仕掛けていきたいと考えています。

3つ目は個人的に「松井健斗」として一番のメリットだと感じているのは「学生一人一人をしっかり守ることができる」ことです。 株式会社にする前だと、先ほどもあったように「ただ学生がいっぱい居て、若者がらくさん集まっている場所」になっちゃうんですよね。 そんな場所だと、やはり「学生をうまく使おう」と考える存在もきっと現れます。 僕自身、学生時代には名古屋市が運営する800名規模の学生団体の総代表を務めている際に、悔しく悲しい経験もしてきました。 それは今でも変わらぬ文化としてきっとあります。その文化を無くすことは今は難しいです。だからこそ「法人(株式会社)」として、学生のみんなを守ってあげられる「砦」として築き、それをもっともっと強固のものにするために株式会社にしました。

みさき

株式会社化にする理由なんてはじめてお聞きしました。 「起業」といっても、そこにはいろんな想いが詰まっていて、松井さんは特にいろんな人にサービスを届けたり、学生を守ったりする盾として捉えられているんですね!

Q.「徳川宗春」をやっている理由について教えてください!

れいな

松井さんを取材するにあたり、いろいろと調べていたら、 徳川宗春役やミュージカルをされているという情報をキャッチしました。 ただ、正直会社や事業とはあまり繋がりがないと思ったのですが・・・。 徳川宗春役やミュージカルをやろう!と思った理由を教えていただいてもいいですか?

松井さん

実は僕、子どものころから子役としてドラマなどに出させてもらっていたんです。 高校2年時に芸能の活動から一線を置いて、大学に入学したタイミングで 「学生の力で地元地域を盛り上げたい!若者の力で自分たちの住んでいるまちを盛り上げることができたら面白いな!」 って思うようになったんですよ。 たとえば「自分の住んでいるまちでお祭りを企画しよう!」と考えるだけでなくて、 昔の俳優業の経験から「自分が仕掛ける人間でもあり、表現者(プレイヤー)でもありたい。」 という強い考えを持ちました。 そこで名古屋城のお殿様である「尾張七代藩主 徳川 宗春 役」や、 戦国ミュージカル俳優として自分自身を表現するプレイヤーとしても地域の観光を支える存在となりたいなと考えています。 何より口先だけでなく、自身もしっかりと両立しながら活動して、それをパフォーマンスで表現したいと思ったからなんです。

それと!昔から「徳川 宗春」って存在は僕が1番好きな歴史人物なんですよね。 尾張七代藩主という名古屋城の七番目のお殿様です。 「暴れん坊将軍」で有名な江戸の徳川吉宗さんの時代に「質素倹約」により日本中が 「祭りもダメ!人形で遊ぶのもダメ!少しの贅沢もダメ!」 という暗い世の中で、宗春さんは「尾張名古屋は人が盛り上げて地域も経済も活性化させるぞ!」 って独自の考えで人も経済も地域も盛り上げていたんです! その結果、今でも言われている”芸どころ名古屋”や”ものづくり愛知” と呼ばれる時代が尾張名古屋に生まれたのです。 江戸(今で言う東京)の人たちが名古屋を嫉妬するくらい日本中で1番盛り上がった 一時代をつくったのが徳川宗春だったんです。 全ての原点をつくった方でもあるし、現代のコロナで何もできなくなっている世の中にも似ている気がして。 こんな人のようになりたいと思うようになりました。

れいな

そうなんですね!! 今の名古屋があるのって、実は徳川宗春がかなり影響していたなんて、知らなかったです。 何をやるにも意味をしっかりと松井さんの中で構築されていらっしゃって、何でもかんでもやるんじゃない。 一つ一つ行動に意義があって勉強になります・・・!

聞いていて、カナメヤさんの仕事的にとても人間関係が大事だと思ったんですが、 人間関係で大切にした方がいいと思うことはありますか?

松井さん

いつもよく思うのは、人って一つの話についてで終わることが多いんですよね。 仕事のことをしただけで終わるとか、たまたま会った人で名刺交換して終わってしまうことが多くて。 僕はそれに関して「この人と一緒だったら何ができるんだろう?」とか 「この人とこういうことをやったらおもしろいな!」 ってことを常に頭にイメージをたくさん思い浮かべたりしてます。 「はじめまして」なのに、勝手に先のことを常に見てわくわくしながら会話している。 なんてこと時々あったりします。 ご縁は「一期一会」って言いますし! なので人との“ご縁”は大切にしています!

chapter 2)松井さんの人生を変えた『過去』とは?

あかり

松井さんは高校時代、どんな生徒だったんですか? 何かこういうようなことに打ち込んでいたとかきっと先生からはこう思われていたとか、 私たち現役高校生が親近感を感じられるお話とかってありますか?

松井さん

僕自身、中学三年生でこう見えてすごく大きな挫折を味わっているんですよ。 実は昔、野球をやっていました。 本気で「甲子園」を目指すくらいやっていた野球人間だったんですね。 でも中学2年の夏頃に肩を手術するほどのケガをしてしまって、 中学校の期間はリハビリ期間で過ぎてしまうことになり本気で野球が出来なくなってしまったんです。 それが原因にもなって、目指していた甲子園常連の高校も行けなくなったんです。 結果、地元の名古屋市立山田高校に進学しました。 僕には野球以外に何もなくて、本当にゼロからのスタートでした。 なんなら今までの野球仲間たちや、長年のライバルのような存在から 「あいつは野球から逃げた」って。冷たい目で見られたり思われていました。 あの夏で全部失ってしまったんですよ。 漫画みたいな状況が実際に自分に起こっていて、正直ワケがわからない感覚でした。 しばらくは大好きな野球も見れませんでした。 何よりずっと背中を押してくれていた父にも悲しい思いをさせてしまって。 それがすごく悔しくて悲しくて。本当に今でも思い返すと少しグッと来ます。……。 そんな時間を半年くらいおくりました。

あかり

その時に助けになった言葉とかってありましたか?

松井さん

オリンピック有名選手の恩師の言葉で、 「何も咲かない日は下へ下へと目を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉ですね。 「ある時は下へ下へと伸ばしてて、タイミングが来たらいつでも咲かせる準備をしておく」 というような言葉を聞いて、その言葉を常に頭に入れて中学の最後の時間を過ごしました。 それこそ当時の僕は全てを失った何も咲けないカレッカレの人間だったんですよ。 野球も出来ないし、今まで一緒に居た野球仲間たちとも接することが出来ない時期で。 恥ずかしい話、食事もノドを通らなかったくらい辛かった記憶があります。

無理な時は無理だし、どん底の時はどん底で、 水を与えても何も実らないというような感じでした。 でも。 今がどん底なら、それ以下に下がる事は無いんです。 だったらもう上に上るしかない。 今は準備期間。 必ず来る「出番」を待とうと常に考えていました。 だからこそ、 高校入ってから「変えなければ」って言うのがシンプルに感じました。 「生まれ変わらないと」 高校生活って三年しかないし、この三年間は得るものが一番大きいと思うんですよ。 「その三年間を何もできないまま、ただ挫折だけで終わりたくない。」 「時間が限られている高校生活の中でやれることを全てやってやろう」 そう思って“高校入学して一週間後に生徒会へ立候補”したんですよ。

あかり

1週間で生徒会に!? 早くないですか???

松井さん

そうですね、 でもある意味、ここから「今の松井健斗の時代」が始まったのかなって思います。 まず生徒会として一年生は会計、二年生は副会長、三年生は生徒会長という、 着々と出世していって、高校史上10年ぶりくらいの男子の生徒会長になりました。 他にも僕、陸上部にも入部したんですよ。 「運動部には入りたい。肩使えないなら足使うか」みたいな。 とにかく野球を思い出さないために、 過去の挫折を思い出す隙間の時間を作らないように高校生活を過ごしていました。 また、それに伴って高校生活では「信念」みたいなのを自分に作ったんですよ。 “圧倒的、青春の名のもとに” というものすっごいクサイ言葉を自分に作ったんです。 わかりやすいでしょう?この言葉を見ると「休んでいられない!」ってなってました。 この僕の学生時代の「信念」と言うものを掲げて、 体育祭や学園祭も球技大会も全ての行事も高校3年間も 学校内で一番楽しんでいる男になったんですよ。

あかり

陸上も生徒会も勉強も学校生活もすべて両立できるなんてすごいですね!

松井さん

ありがとうございます。 でも、ちょっと今の高校生のみんなに親近感が湧くのかな・・・? あ、僕。勉強面ではめちゃくちゃ不器用だったんですよ。 国語や社会の文系科目とか「人前で話す」のは昔から結構得意で好きなんですよ僕。 今でも徳川宗春やったり、「青年版国民栄誉賞」のスピーチを人前でバーン!ってやって、 みんながついてきてくれたり。 すげぇやばいラスボスみたいモノと真正面から戦いに行くぞ! ってなった時とかは、みんなの一番前に立って突っ走る!みたいなことはできます。 ただ、じっくり考えないといけないと言ったようなロジックと論理を数字で並べて 「数字のデータがこうなっていて~」って言われると、頭の中が「???」 って頭の思考を一回止めるくらいには不器用なんですよ。 でも、勉強面でも「できないことはできない」ってはっきり言える高校生でしたね。 みんなに出来ないことで自分にやれることは自分で全力でやって、 自分でやれないことはしっかり仲間に頼って任せようって言うスタンスでした。

Q.やりたいことが見えた時期について

りこ

松井さんはやりたいことっていうのは、高校生でみえていたんですか?

松井さん

んー。今思い返すと見えてなかったと思います。 とりあえず高校生の間はやりたいことをがむしゃらにやろうって感じで、 「今しかできないこと」の限られたチケットや時間は今しかないし、 だからこそこの時間にやりたいことたくさんやろう!と考えながら行動していたら、 その時に一緒に居た仲間たちと叶えたい事や実現させたいアクションが次々に見えてきたって感じですね。

りこ

そういった行動を起こすときって、躊躇いとかなかったんですか?

松井さん

躊躇いはもちろんありました。 高校時代には「中学時代の挫折」がありますからね。 ここだけの話し僕「7割挑戦:3割ガラスのハート」を持ち合わせている人間なので 「これやったら周りから冷たい目で見られるかも」とか行動を起こしている中でも 「周囲にどう思われているかな」とか考えてしまうダサい自分がいるんですよ。 でもそんなのを気にして行動せずに、自分が死んでしまって棺桶に入るとき 「やっぱあれやっとけばよかったー!ちくしょー!」とか思うのが一番怖くって。 思った時にはもう遅いじゃないですか。 嫌われるかもしれないし、変な風に思われかもしれない。 けど、やらずの後悔よりも、やってからの後悔の方が絶対に良いと考えています。 「あの時に戻りたい」 そう思わぬように、今のうちに後悔しないよう 「明日やろうはバカやろう」と自分の背中を押していました。 まずはやってみて、そこからどうなるかっていうのを考えて活動していたかなって思っています。

りこ

具体的にどういう行動をすればいいとかありますか?

松井さん

具体的にどういう行動をすればいいとかありますか? 今パッと思いついた感覚ですけど、「隙間」を常に見つけに行くことですかね。 まずは、SNSなどを用いて情報を仕入れて、そこから「今、なにが求められているのか」 を簡単でも良いので常に情報を見つけたり感じたり考えたりします。 一緒に色んな人と活動をしたり、ある意味それを利用して自分たちで活動自体を作り出すのも良きですし、 行政や地域のイベントに積極的に参加してみるとか。 とにかく日常の「隙間」時間で常に“きっかけ”を見つけることが大切ですね!

chapter3 松井さんの『未来』

Q.松井さんの次なるのチャレンジを教えてもらっても良いですか?

わたはる

いろんなことをされているとは思うんですけど、今後ってどんなチャレンジをしよう!とかなにか考えてらっしゃいますか?

松井さん

仕事としては、創業した「カナメヤ」のサービスをアプリ化です。 名古屋発のサービスを全国にリリースして、 学生と行政と企業がしっかりと手を取り合えるプラットホーム化を目指します。 また母校の大学では今後、大学内の研究機関の外部研究員として入る予定です。 いずれは正式な講師として母校にもしっかりと恩返しがしたいなと考えています。

それから「プレイヤー」の面でいうと、 今僕が務めている「徳川宗春」を名古屋の新たな観光大使にしたいと考えてます。 名古屋にはこれから世界中が注目する時代が5年~10年とやってきます。 そこに向けていまはしっかりと準備をして根を伸ばし「出番」が来た時には、 しっかりと大きな花を咲かせて「名古屋へようこそ!」と言いたいですね。 また今後はリニア新幹線も開通すると愛知県から東京都まで40分~50分で行ける便利な時代がやってきます。 しかし裏返してみると40分~50分で首都の東京へ行けるってなると、 愛知から東京の学校や企業へ通えてしまうことになります。 と言うことは愛知の学生文化にも多少は影響が大きいんじゃないかって。 「愛知県に住んでるけど、学校や会社は東京です」とかになってくる未来が少し見えていて、 そうなった時にはもう遅いと感じているからこそ 「今のうちに誰かがもっともっと愛知に魅力をつくらないといけない」 とも勝手に自分にミッションとして持たせているのもあります。 となると、全世界から注目されるためには「おもてなし武将」のような存在をはじめ、 名古屋ならではの盛り上げる存在をもっともっと存在させなければならない。 未来の名古屋のために。未来の愛知のために。「徳川宗春」も新たな名古屋の観光名物のような存在にして、 これをベースに愛知県にもっともっとこういう「名古屋へようこそ!」 と胸を張って言える存在が増えるようにしたいと考えています

わたはる

松井さんはスゴイ名古屋愛・愛知愛にあふれていらっしゃいますね。 確かに名古屋から東京にいけるのスゴイいいなっ!って思っていましたが、 名古屋に人がいなくなっちゃう未来も想定されるのか・・・と。 確かに東京は流行の発信地ですし、魅力的なので自分も名古屋に住みながら東京の大学とかに通うかも・・・って思っちゃいました。 いろいろと想定された上でどう行動するか凄く勉強になりました!

Q.最後に高校生へ向けた応援メッセージを貰ってもいいですか

わたはる
松井さん

そうですね。僕から言えるのは圧倒的に楽しんでほしい 圧倒的っていうのは最上級より上だと思ってて、あいつマジで楽しんでるなとか、あいつ一番前で突っ走っ てるなって思われるくらい楽しまないと100目指したらたぶん80くらいになってしまうから120目指して100をやったらすごくよかったと思える学生生活になると思う。コロナ過でも受験があるとしても外とのかかわりがなかったとしても、自分には絶対に強みがあるからそれを圧倒的に生かして圧倒的に楽しんでほしいです。 今この記事を読んで明日からでもいいから挑戦してみるとか、そういった自分の人生を変えるようなそういったスイッチに挑戦をし始めてほしいし、そこから楽しい人生というか、3年間しかない高校生活を圧倒的に楽しんでほしいなと思います!

松井さんお忙しい中、取材を受けてくださりありがとうございました😊

  • このインタビューを通して

取材をさせていただいてとても楽しい時間を過ごさせていただきました。松井さんが本当にたくさんのことを知っていて、質問にしっかりと答えて下さったり、難しい言葉の説明までしてくれたことなどが特に印象に残りました。知識を増やして理解を深めることで色々な事業に真剣に取り組めるのだと思いました。

松井さんの話には一言一言熱意がこもっているのがわかり、自分もそのように心を動かせるような話をできるようになりたいと思いました。松井さんが言っていた言葉はどれも自分に響くものがあったので一つ一つの言葉を覚えておきたいと思いました。

学生時代のお話を聞いて、とても親近感がわき、自分が学生である期間にもっと楽しめる要素を発見することが出来ました。学生時代と挑戦の大切さについて学ぶことが出来ました。

なりたいものややりたいことを一つに絞るのではなくて決めた目標や目的に対して行動をいろいろな形で起こしているよう松井さんの姿勢を見習ってこの高校生活の中で改めて自分に何が出来るかをよく考え、いろいろなことにチャレンジしていきたいとあらためて感じさせられました。

充実した時間を本当にありがとうございました。

By高校生編集部 れいな わたはる あかり りこ みさき

編集者:みさき

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